親子〜おやじの子育て in Beijing〜

男にとって“子育て”って?

 “半路出家”で書いた通り、子育てに関しては、一般的に「父親は都合がいい」。
 
 日本での会社員時代、「仕事が一番、家庭は二番」だった。
 一日の中で、一番長く一緒に時間を過ごすのは上司であり、同僚であり、後輩であり、仕事先の相手であった。家族の時間は、1日2時間あれば「恩」の字。ましてや、早く眠る幼きわが子は「寝顔チェック」で終わるのが普通。

 チンくんは、いつ立ったのか?いつおっぱいをやめたのか?いつおしめが取れたのか?いつおしゃべりできるようになったのか?・・・父ちゃんは知らない。立ち会い出産で、難産で生まれてきた“ピッコロ大王”のようにとんがった三角頭のチンくんは「いつの間にか」大きくなっていた。

 その結果・・・
 
 母ちゃんは24時間、チンくんのそばにいる。おっぱいもある。だから、チンくんのことは何でも知っている。父ちゃんはそう信じていた。

 会社からクタクタになって帰ってきて、母ちゃんがクタクタになっているのが、「なぜ?」としか思っていなかった。

 チンくんが泣いていると、母ちゃんなら当然に、すぐに泣き止ますことができると信じていた。まるで魔法があるかのように。

 お昼のチンくんは、ごはんを賢く食べ、遊んだ後、かしこくお昼寝している、と信じていた。だから母ちゃんは家事も当然できていると。

 チンくんが病気になれば、母ちゃんがちゃんと世話していないと思うことも正直あった。

 子育てをする母ちゃんは、「楽しいんだ」と思っていた。まるで、一日中、子供と遊んでいるんだ
と。

 父ちゃんは、それらが大きな間違いであったことを知るのに、北京に来て2年かかった。でも、「無理もないことだった」と、今でも思う。間違っていた自分を正当化するつもりはない。会社という縦社会で、朝から晩までプレッシャーを抱えていると、家のことは本当に見えない。

「あー、チンくんと思い切り遊びたい」
「あー、チンくんは今、何をしているかな」
「あー、今日こそは、チンくんが眠る前に帰れるかな。帰りたいな」


 だから、それがたまに実現すると「うれしくてたまらない」。その瞬間、子育ては「楽しいこと」以外の何モノでもなくなる。母ちゃんは、いつも「こんな楽しい」ことをしてるんだと思ってしまう。多くの父ちゃんたちは、働きながらいつもこう思っているのではないだろうか。

 多くの父親は、「子育て」の姿が見えない。自分の役割は、働き、給料を得て、社会的保障を得て、家族を守ることだ。それが父親ができる「子育て」と考えている。それは間違いだろうか?

 父ちゃんは今でも、それが間違いだとは思わない。

 残念ながら、日本の多くの会社やそこでの仕事は、「子育ての時間がほしいから」なんてことを、男には無言で許さない。

 「等身大の子育て」を、多くの父ちゃんは「知らない」のだ。さらに言えば、「知るための機会を奪われている」。「知る」ためには、母ちゃんの「理解」と「助け」が必要だ。

 「オムツ替えて」。泣く子を「抱っこして」では無理だ。それは父ちゃんにとって、「母ちゃんの仕事で、自分のやるべきこと」にはならない。父ちゃんが望む「子育て像」は、先にも述べた。

 あの3つの「あー、・・・」を満たすことなのだ。

 「子育て」と格闘し、その先に「楽しさ」を見出していく“ほんまもんの子育て”をしている母ちゃんと、“かわいい”子供との時間を奪われ、何とかそれを満たす時間がほしいと願っている父ちゃんとは「子育て像」は、まるっきり違うことを、しんどいかもしれないが、先ずは母ちゃんたちも、ぜひ理解してあげてほしい。

 その上で、正しい“子育ての実像”を父ちゃんに語りかけることが必要だと思う。本来なら、世間の父ちゃんたちがそれを自然にできる様な社会でなくてはならないはずだ。そんな社会へと成長できていない日本である以上、母ちゃんたちが補わなければならない。今はその上で、父ちゃんの子育てへの関わりが夫婦の仲で少しずつ調和していくのではないだろうか。もちろん、時間はかかる。もしかしたら、父ちゃんが理解した時点で、乳幼児期の最もしんどい子育ての時期は終わってしまうかもしれない・・・。

 この2年、アーチャオの子育てに関わり、「オムツ替え」からはじまり、夜泣き、病気、理由がなかなか見つからない不機嫌など“大変でつらい子育て”も母ちゃんのそばで見せてもらったし、できることを教えてもらった。それでも、「おっぱい」を求めるアーチャオだけは、今でも、もう手が出ない。オロオロするだけで、男の限界が見えてくる。
 
 だからこそ、アーチャオが成長し、これまでの“面倒なこと”がひとつ又ひとつなくなってくると、「成長したなー。うれしいなー」。これは、会社員時代に感じた「知らんうちに大きくなったなー。うれしいなー」とは全く違う「うれしいなー」だ。

 とりとめもなく、書いてしまった。でも、「うちのだんなは、子育てに無理解」という烙印は押してはいけないと思う。父ちゃんの置かれている状況を知ってほしい。思い込んでいることを知ってほしい。そこに罪はないと思う。仕方ない状況がある。

 その理解があれば、小さな変化をおこすことは可能なような気がする。夫婦互いに、互いのできること、できないことも見えてくる。「母ちゃんのできること全てが、父ちゃんのできることではない」し、「母ちゃんにできないところで、父ちゃんができること」もある。「その間をわが子が行ったり来たりする回数が増えれば増えるほど、“大変な子育て”が“大変で楽しい子育て”に近づいていくのかな」なんて最近よく考える“北京で子育てしてるつもりの父ちゃん”である。




コメント


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おじゃまします

突然おじゃまします。
目に止まったので、素通りは失礼かと思い
コメント入れさせていただきました。
ブラブラしてるのでまた覗きにくるかも^^;。
ではまた^^

ぷりぷりさん | URL | 2008年04月19日(Sat)23:06 [EDIT]


 

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子育て・育児の相談駆け込み寺 | 2007年11月21日(Wed) 15:25